人に流されない人生に憧れはありませんか?
『イエスマン』と言われたことはありませんか?
イエスと言うこと自体が悪いと言っているわけではありません、しっかりノーという選択肢を持っていないと大変なことになってしまうということです。
今回の寓話は、人の意見にすぐに流されてしまう人がどのような結果を招くかよく描かれています。
目次
ロバを売りに行く親子
この寓話の教訓を通して、
- 他人に流されやすい人のパターン別の特徴
- 他人の意見に流されない方法
それでは、あらすじへ。
あらすじ
ロバを飼っていた父親と息子が、そのロバを売りに行くため、市場へ出かけた。
二人でロバを引いて歩いていると、それを見た人が、
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ。」
と言った。
親子は、納得して息子をロバに乗せた。
しばらく行くと別の人が親子を見て、
「元気な若者が楽をして親を歩かせるなんて酷いことをするもんだ。」
と言った。
親子は、納得して父親がロバに跨り、息子がロバを引いて歩いた。
またしばらく行くと別の人が親子を見て、
「自分だけ楽をして子どもを歩かせるとは、悪い親だ。一緒に乗ればいいだろう。」
と言った。
親子は、「それはそうだ」と2人してロバに跨り歩を進めた。
するとまた別の人に、
「二人も乗るなんて、重くてロバがかわいそうだ。もっと楽にしてあげてはどうか。」
と言った。
それではこうすればロバが楽になるだろうと、親子は狩りの獲物を運ぶように、一本の棒にロバの両足を括り付けて吊り上げ、それを二人で担いで歩いた。
しかし橋の上まで来たときに、不自然な姿勢を嫌がったロバが暴れだした。
そして、暴れたロバは不運にも川に落ちて死んでしまった。
人に流されない人生
この寓話の教訓は、「周囲の意見に流されず、自主や自立の大切さを知る」ということです。
ロバを引いていた親子は、来る人来る人の意見に流され、最終的には大事なロバを亡くしてしまいました。
「そんなことはない。」
「自分はこういう考えがあってこうしている。」
ということが言えれば結果は変わっていたかもしれないですね・・・
しかし、人に流されてしまう人はある理由から言えなくなってしまうんです。
その理由を解説します。
人に流されてしまう人の分類
人に流されてしまう人は、
- しっかりとした自分の意思があるのに人の意見に流されてしまう
- しっかりとした自分の意思はないので、人の意見に合わせてしまう
という2パターンに分けられます。
どちらも「人に流されてしまう」ということは同じですが、それぞれ特徴があり、気を付けるべきことも違います。
1.しっかりとした自分の意思があるのに人の意見に流されてしまう
このパターンの人は、
- 自分に自信がない
- 相手に気を使い過ぎている
- 自分を否定してしまう
しっかりとした自分の意思があるのに人の意見に流されてしまう人は、自分の意見に自信がありません。
なので、相手の意見と自分の意見を比較したときに、自身の意見や主張が間違っており、相手の意見が正しいと思いこんでしまいます。
その結果、相手の意見に全面的に合わせる選択をしてしまい、人に流されてしまいます。
さらに、このパターンの人は、相手に気を使い過ぎている傾向にあります。
相手に嫌われたくない、相手の意見が優先的であると思っているため、自分の意見を主張することを諦めてしまいます。
そして一番のデメリットは、自分は相手と異なる意見を持っているのを知っているため、「なぜ自分の意志と違うことをやらなければならないのか。」、「なぜ自分の意見を主張しなかったのか、自分はダメなやつだ」と悩み、自らを否定してしまうことです。
もし、ロバを売りに行った親子がこのパターンだったら・・・
親子にとってロバは大事な商品なのできれいな状態で市場まで連れて行きたいという意思があったことでしょう。
しかし、
「せっかくロバを連れているのに、乗りもせずに歩いているなんてもったいないことだ。」
と言われた途端に自分の『ロバをきれいな状態で市場まで連れて行きたい』という意思に自信がなくなり、本当に自分の意見は大切なのだろうかと否定し始めてしまいます。
そして自分の意見よりも相手の『ロバを上手に使わなければ損』という意見の方が正しいと判断してしまい、人の意見に振り回されてしまうでしょう。
しっかりとした自分の意思はないので、人の意見に合わせてしまう
このパターンの人は、
- こだわりがない
- 行動や思考に目標がない
- 考えることを諦めている
しっかりとした自分の意思がないので、人の意見に合わせてしまう人は、自分の思いや考えにこだわりがなく、他人に依存する傾向があります。
自分の行動や思考に目標を設定することが苦手で、考えることを諦めてしまっているので、人の意見に合わせるというよりも「相手の意見しか選択肢がない。」状態になってしまいます。
そして一番のデメリットは、自分の意志をもたず何事にも他力本願なため、自分一人では物事を決定することができなくなってしまいます。
もし、ロバを売りに行った親子がこのパターンだったら・・・
自分の考えや思いがないので、相手の意見になんの疑問や異見なくこの寓話のように振り回されてしまったのでしょう。
おそらくこの物語の親子はこのパターンだと想像できます。
もう一つの教訓
この寓話を読んで、もう一つの教訓を導き出しました。
それは、『世の中には様々な意見を持つ人がいるということを理解する』ということです。
ある出来事に対して、肯定、否定、共感、批判、関心、無関心などの様々な意見が存在します。
これは、物事の捉え方や感じ方は人それぞれ自由なのでどうしようもありません。
なのに大半の人は、すべての意見に一喜一憂して自分で自分を追い詰めてしまいます。
そして思うんです、
「きりがない・・・」
たしかに、すべての意見を咀嚼して飲み込み受け入れることができたらそんな素晴らしいことはありません。しかし、自分の意志がある人にとっては非効率極まりないことです。
では、どうすればよいか。
考え方を少し変えてみましょう。
他人の意見は自分へのアドバイスとして受け取り、取り入れるか取り入れないかは自分の意志と比較して決めればいいんだと考えましょう。
そうすることによって、ただただ相手の意見を鵜呑みにするのではなく、自分自身で意見を取捨選択する技術が磨かれます。
その「意見を取捨選択する技術」が人に流されない人生への必要不可欠の技術です。
まとめ
どうだったでしょうか?
人に流されやすい人の特徴を知ることによって、人に流されない人になることができます。
しかし、他人の意見を取り入れることすべてが全て悪ということではありません。
問題があるのは、自分の意思なく他人の意見をすべて取り入れてしまうことです。
しっかり意見を自分自身で取捨選択できる技術を磨き、意思の強い人を目指しましょう。
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