雄鶏の思考から学ぶ!物の価値観について【寓話】雄鶏と宝石

 

こんにちは!ぴえ郎です!

 

なぜあの人はあんな物を大事にしているのだろう?

なぜこんなにも便利なのにあの人は使わないのだろう?

 

こんなことを思ったことはないですか?

 

今回の寓話はとても短いですが、「物の価値」について考えさせられる内容です。

覚えておいて損にはならないので是非読んでいってください。

 

では、あらすじへ。

 

雄鶏と宝石

あらすじ

雄鶏は、何か食べるものはないかと土をひっかいていた。その時、偶然に宝石を見つけた。

雄鶏は言った。

「ほうっ!落とし主がこれを見つけたら、さぞ喜ぶだろうな。でも俺にとっては、世界中の宝石よりも麦一粒の方がずっと大切さ。」

物の価値

この寓話の教訓は『立場が違えば、物の価値は違ってくる』です。

人にとって宝石と麦一粒だったら宝石の方が価値があると判断しますよね?

しかし、雄鶏は宝石よりも麦一粒の方が価値があると判断しました。

では、この違いは何でしょうか?

 

人の価値感

人は価値をどのように計測するのでしょう?

例えば、

コップ一杯の水と焼きたての特上ステーキだったらどちらが価値があると思いますか?

 

大体の人が特上ステーキだと思うと思います。

しかし、この質問をされたのが砂漠だったらどうでしょう?

サウナ後だったらどうでしょう?

 

このように物の価値は自分の立場や環境で大きく変わるものです。

なので、そのことを考慮せずに自分の価値観のみを相手に押し付けることはオススメしません。

それぞれの立場と環境の価値観を大事にしましょう。

 

雄鶏の価値観

では、この雄鶏はどのように価値を計測しているのでしょう?

それは「有益度」です。

自分にどれだけ有益なものか?

この雄鶏は宝石よりも自らの血肉になる一粒の麦の方が価値が高いと判断しました。

物を購入する時に、自らへの有益度を考えることができれば、無駄な買いものがなくなるでしょう。

 

豚に真珠と猫に小判

雄鶏と宝石の物語と似た話を聞いたことはないでしょうか?

似たような意味のことわざで『豚に真珠』『猫に小判』という言葉があります。

この2つのことわざの意味は、真珠や小判の価値を知らない者に与えても何の意味もないという意味です。

 

しかし、雄鶏と宝石とこの2つのことわざは同じなようで実は大きな違いがあります。

 

それは、

当人が物の価値を理解しているかどうかです。

 

猫や豚は小判と真珠の価値を知りません。なので、猫に小判かキャットフード一粒を選らばせたらキャッツフードを選ぶでしょう。

その小判でキャットフードが何倍も手に入れられるとも知らずに。

しかし、雄鶏は宝石の価値を知らないから一粒の麦を選んだのではなく、宝石の価値を理解したうえで一粒の麦を選んでいます。

これはとても重要なことです。

『自分にとって価値がないものでも他人にとっては価値がある』ということを理解しているか理解していないかで思考は反転します。

 

人と動物、人と人

人と動物だから物の価値が違うと思っていませんか?

小判や真珠は、人が使うものだから動物には価値がわからない。

それも一理あります。

 

しかし、人と動物の関係だけではなく、人と人の関係でも物の価値は変わります。

本能的か理性的か。過去の経験。未来の予想。思考法。

様々な条件が重なり合い、人は物の価値を決めています。

他人には他人の物の価値があり、自分には自分の物の価値がある。

このことを理解していないと、自分の物の価値を他人に強要したり、他人に強要されて無駄に不快になったりしてしまいます。

 

でも人によって物の価値が変化しているってどういうことでしょうか?

 

もう少し物の価値について深堀してみましょう。

 

物の価値の認識

物の価値で代表的なものは、「お金」です。

お札は、ただの紙です。硬貨は、ただの金属です。

しかし、世界中で一円玉にはこれだけの価値があり、五百円玉には一円玉の五百倍の価値、一万円札には一円玉の一万倍の価値があると共通認識があるのでお金は機能しています。

ある日、一万円札は無価値であると世界中で共通認識ができたとしたら、その時点で一万円札はただの紙に戻ってしまいます。

 

このように実は物の価値自体は変化していません。

変化しているのは、人それぞれの物の価値への認識です。

認識は、心の働きなので他人にはどうすることもできません。

 

物の価値と人の価値

これまで物の価値について考察してきました。

この物の価値の話は、人の価値でも同じことが言えます。

人の価値という言い方は良い呼び方ではないですが、他人の価値を値踏みする人がいます。

 

「あの人は、仕事ができるから価値がある」

「あの人は、何をやっても失敗ばかりだから無価値だな」

 

しかし、この考えはただの個人的認識であって、世界共通の認識ではありません。

 

「この十円玉は、一万円分の価値がある!」

 

と言っているのと同じです。

先ほども言ったように『認識』は心の働きであるため、個人の自由です。

しかし、他人に強要したり、無理に共有しようとするのはやめましょう。

 

まとめ

どうだったでしょうか?

 

今回は、雄鶏と宝石という寓話を紹介しました。

  • この寓話の教訓は『立場が違えば、物の価値は違ってくる』
  • 人の価値観は、自分の立場や環境で大きく変わる
  • 雄鶏の価値観は、自分への有益度で変わる
  • 『自分にとって価値がないものでも他人にとっては価値がある』ということを理解しているか理解していないかで思考は反転する
  • 変化しているのは、人それぞれの物の価値への認識
  • 人の価値を値踏みするのはやめよう
雄鶏と宝石の物語で多くのことが考察できました。

 

でも、この雄鶏・・・

多くの現代人より賢く、立派なのでは?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です