こんにちは!ぴえ郎です!
皆さんは自分の体形や容姿でコンプレックスを抱いたことはないですか?
そのコンプレックスは本当に自分の意見ですか?
それを踏まえてあらすじへ
目次
みにくいアヒルの子
あらすじ
とあるアヒルの群れの中で卵がかえりました。
よく見ると、一匹だけ黒い雛が産まれ、アヒルの親はとても驚きました。
しかし、他の雛たちと同じように泳げたため、一緒に育てることにしました。
ただ他の雛たちは一匹だけ色の違う黒い雛を「みにくい」といじめました。
それに耐えきれなくなった黒い雛はアヒルの群れから逃げ出しました。
みにくいアヒルの子は様々な群れへ行きますが、どこへ行っても「みにくい」といじめられてしまい、しだいに生きることに疲れてしまいました。
冬が終わって春が来る頃に、みにくいアヒルの子は自分を殺してもらおうと白鳥が住む水辺へと向かい、水面を覗きました。
すると水面に映る自らの姿を見てとても驚きました。
黒くてみにくい姿の雛は、立派な白鳥の姿へと成長していたのです。
そして、白鳥の群れに暖かく迎えられ、幸せに暮らしました。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
みにくいアヒルの子は、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの書いたアンデルセン童話の一つです。
アンデルセン童話は他には、『人魚姫』や『マッチ売りの少女』、『雪の女王』等があります。
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
考察の前にアンデルセンのことを紹介します。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、1805年4月2日にフュン島の都市オーデンセで生まれました。
靴職人の父と働き者の母でしたが家は貧しく一つの部屋で全員で眠った経験をして、
幼いころに父親が他界し、母が再婚をします。
15歳の時にオペラ歌手になるためにコペンハーゲンに行くことを決意。
しかし、様々な困難に合い夢破れます。
そんな中でも周りの助けで大学へ進学。
大学ではいじめや孤独な日々を過ごします。
その後、各国を旅行して小説や詩・童話を作ります。
ですがやはり1835年発表の童話集などでは主人公が死ぬ結末も少なくなく、「死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層のへの嘆きとそれを見て見ぬふりをする政府への嘆き」という自分の経験が色濃く表れています。
しかし、晩年は死以外にも幸せになる術があることを作中に書くようになっていきます。
そして、死去するまで童話を作り続けました。
アンデルセンとアヒルの子
それでは、みにくいアヒルの子を考察していきます。
まずこの童話の教訓は、『嫌なことや苦しいことがあったとしても生きていれば、良いことは巡ってくる』ということです。
みにくいアヒルは、同じ雛にいじめられ絶望を感じましたが最終的には幸せになりました。
では、なぜ幸せになれたのか・・・
それは、大事なことをやったからです。
では、大事なこととは?
それは『逃げること』です。
逃げると聞くととてもネガティブな印象を持つ方がいますが、そうでない『前進するための逃げ』も存在します。
より良い未来のために、障害となっている状態から逃げることは悪いことではありません。
みにくいアヒルの子は、より良い生活のために最初のアヒルの群れから逃げ出しました。
この行動ができるか、できないかによって未来は大きく変わります。
人は、自分が属しているコミュニティに依存してしまいます。
なので、そのコミュニティが自分にとって害があったとしても簡単にはコミュニティを離れることができません。
しかし、自分が属せるコミュニティは無限に存在します。
みにくいアヒルの子は、それを知ってか知らずか新しいコミュニティへ向けて旅を始めました。
この行動が幸せへとつながっていたのです。
常識
この物語を読んでもう一つ教訓を導き出しました。
それは、『周りの意見に振り回されない』ということです。
ロバを売りに行く親子でもあったように他人の意見がこの世のすべての人の意見と合致していると思ってしまうと幸せは遠ざかってしまいます。
読んでない方はぜひ!↓↓↓
アヒルの雛たちに「みにくい」と言われたアヒルの子は本当にみにくかったのか?
これは、見る角度によって違ってきます。
例として4種類の角度で思考の仕方を紹介します。
アヒルの場合
- 自分たちと見た目が違う雛がいる
- 自分たちアヒルは、みにくくない
- 自分たちと見た目が違うからこの雛はみにくい
結果
- みにくいアヒルの子 ➡ みにくい
- アヒルの子 ➡ みにくくない
白鳥の場合
- 自分たちと見た目が同じ雛がいる
- 自分たち白鳥は、みにくくない
- 自分たちと見た目が同じだからこの雛はみにくくない
結果
- みにくいアヒルの子 ➡ みにくくない
- アヒルの子 ➡ みにくい
他の鳥の場合
- 自分たちと見た目が違う雛がいる
- 自分たちは、みにくくない
- 自分たちと見た目が違うからこの雛たちは、みにくい
結果
- みにくいアヒルの子 ➡ みにくい
- アヒルの子 ➡ みにくい
人間の場合
- 見た目が違う2匹の雛がいる
- どちらも可愛い
結果
- みにくいアヒルの子 ➡ 可愛い
- アヒルの子 ➡ 可愛い
どうでしょうか?
見た角度によって様々な結果が出ました。
「みにくい」という意見は、その発言者個人の主観的意見の一つであって全体の意見ではありません。
他人の意見に振り回されずに意見を取捨選択をしていきましょう。
まとめ
どうだったでしょうか?
「死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層のへの嘆き」を表す童話を多く生み出したアンデルセンですが、晩年は死以外にも幸せになる術があることを作中に書くようになります。
このみにくいアヒルの子も死のうとしますが最終的には救われるストーリーになっています。
このみにくいアヒルの子でアンデルセンは、『嫌なことや苦しいことがあったとしても生きていれば、良いことは巡ってくる』という教訓を教えてくれています。
また、『周りの意見に振り回されない』という教訓も読み取ることができます。
「みにくい」という意見は、その発言者個人の主観的意見の一つであって全体の意見ではない。
大切なのは、他人の意見に振り回されずに意見を取捨選択をすることです。
それぞれの教訓は、大人になったときにとても大切な教訓ですのでお子さんに読み聞かせしながら教えるにはぴったりの物語だと思います。
でも、最初のアヒルのお母さんは明らかに違う雛でも、のけ者にしないとか神様かな?
拝読させていただきました。私もアンデスセンの「みにくいアヒルの子」にはずっと違和感を持っていました。
ふと思ったのですが、
アヒルと白鳥が逆だったらどうでしょう?
白鳥の群の中に一羽だけアヒルのヒナが紛れてしまった場合です。
子どものころは「とび抜けて美しい」「神童」「大天才」ともてはやされて育ち、成長して大人になると落ちこぼれてしまう、そんな人も多いと思います。いや、アヒルから白鳥になる人よりも、白鳥になるつもりでいて、じつは自分はアヒルだったと、成長してから気付いて愕然とする者、そして挫折して劣等感に苛まれる者の方が多いのではないでしょうか。アンデルセンの「みにくいアヒルの子」はサクセスストーリーです。でもサクセスできない者のほうが世の中には多いのです。
また、アヒルは白鳥より「下」なのでしょうか?アヒルは下級のカッコ悪い鳥で、白鳥はカッコいい上級な鳥なのでしょうか?
それは人間が勝手に決めつけた序列にすぎない。
そんな思いを短編小説にしました。
「みにくくなかったアヒルの子」という物語です。
下記のURL です。
https://www.simizukobo.com/news/4371
とても面白い着眼点ですね!
1つの物語から様々な考察や発想が出てくるのが楽しくてたまりません!
読んでいただきありがとうございます。