正直と嘘の本質【寓話】金の斧

こんにちは! ぴえ郎です!

 

小さい頃から
「正直に生きなさい、嘘やごまかしはいけないことです」

と親や先生に教わり育った人が大半だと思います。

でもなんで正直に生きなきゃいけないの?

嘘やごまかしはいけないことなの?

と考えたことはありますか?

今回の寓話は、大半の方が知っている超有名な話です。

しかし、この考察を読んだ後には少し違う見方ができると思います。

金の斧

この寓話を通じて、

  • 正直と嘘の本質
  • 正直者と嘘つき者の違い
  • 大事なことの考え方の違い

を紹介します。

それでは、あらすじへ。

あらすじ

むかしむかし、ある男が川のほとりで木を切っていました。

ところが手が滑り、斧を川へ落してしまいました。

男は仕事ができなくなってしまい泣いていると、川の中からヘルメスという神様が出てきました。

神様は持っているピカピカに光る金の斧を男に見せ言いました。

「お前が落としたのは、この金の斧か?」

「違います、私が落としたのはそんな立派な斧ではありません。」

すると神様は銀の斧を見せ言いました。

「では、この斧か?」

「いいえ、そんなにきれいな斧でもありません。」

「では、この斧か?」

神様は使い古した汚い斧を見せ言いました。

「そうです、そうです。拾っていただきありがとうございます。」

「おまえは正直な男だな。」

神様は感心し、こう言いました。

「正直なおまえには、金の斧と銀の斧も授けよう。」

男は大喜びし、後日このことを友人に話しました。

友人はうらやましがり、「おれも金の斧をもらってこよう」と汚い斧を持ち、川へ出かけました。

川のほとりに着き、わざと斧を川へ投げるとしくしくと嘘の泣き始めました。

すると川からぴかぴかの金の斧を持った神さまが出てきて言いました。

「おまえの落としたのは、この斧か?」

「そうです。その金の斧を川に落としてしまいました。」

とたんに神さまは目をつり上げ、恐い顔で

「この嘘つきの欲張り者め!」

と怒鳴り、川の中へ戻ってしまいました。

嘘つきで欲張りな男は、金の斧も銀の斧も自分の斧さえ拾ってもらえず、その場で泣き崩れてしまいました。

正直者と嘘つき者

この寓話の教訓は、「正直者は報われる、嘘つき者は損をする」ということです。

「金も銀も自分のではなく、汚い斧が自分のだよ」と正直に言った男は神様に気に入られて金も銀も自分の斧ももらえました。

しかし、「金の斧が自分の斧だ!」と嘘をついた男は神様の逆鱗に触れ、自分の斧さえ拾ってもらえませんでした。

とても教訓が伝わりやすく、わかりやすい寓話だと思います。

大半の方が小さい頃から親や先生に「正直者は得だよ!報われるよ!だから嘘ついちゃダメだよ!」と教えられて育ったことでしょう。

そして、子どもにもそのように教えることでしょう。

その際に言葉だけではなく、この金の斧の寓話を例に出して教えてあげればすんなりと理解してくれるのではないでしょうか。

正直者?嘘つき者?

しかし、本当に正直男は正直者で
嘘つき男は嘘つき者なのでしょうか?

  • 本当の正直者と嘘つき者は?

この疑問を深堀考察していきます。

 

まず、正直男は川のほとりまで木を切りに行っているということは、高確率でそれを仕事にしていると思われます。

そして木を切るという重労働を一人で頑張っているのであまり裕福な暮らしではないと考えられます。

ではなぜ裕福な暮らしではないのに「金の斧」を欲しがらなかったのか?

もしかしたら正直男は、腹の中では金の斧が欲しくてしょうがなかったけれど世間体を気にして、「金の斧はいらない」と言ったのかもしれません。

では逆に嘘つき男は、金の斧が欲しくてたまらず、神様に「金の斧がほしい」と自分の欲望を正直に言いました。

さて、この上記の男たちはどちらが正直者でどちらが嘘つき者なのでしょうか?

最初に金の斧を読んだときとは正直者と嘘つき者が逆転してしまったと思います。

この違いは何か?

正直と嘘の対象

一回目に金の斧を読んだ場合
  • 最初に出てきた男が正直者
  • 次に出てきた男が嘘つき者

この場合の対象は、相手に対して正直なのが正直者相手に対して嘘つきなのが嘘つき者と考えているのでこのような結果になります。

 

考察後に金の斧を読んだ場合
  • 最初に出てきた男が嘘つき者
  • 次に出てきた男が正直者

この場合の対象は、自分に対して正直なのが正直者自分に対して嘘つきなのが嘘つき者と考えているので逆転した結果になります。

このように『正直者』『嘘つき者』と一言で言ったとしても、

何に対して正直なのか?

または、

何に対して嘘つきなのか?によって全く違う結果になってしまいます。

もう一つの教訓

この寓話を読んで、もう一つの教訓を導き出しました。

それは、『大事なことは何かを考える』ということです。

最初の男が大事にしていたことは、木を切る仕事を続けるです。

斧を川に落としてしまったときは仕事が続けられず絶望したことでしょう。しかし、そんな絶望を神様は使い慣れた自分の斧を拾ってくださり、救ってくれました。

「それだけで大満足!

逆に金の斧なんかもらったら重くて木を切ることができない。」

このように今の自分または仕事に誇りを持っている人は幸せな人生を歩める確率が高いです。

 

次の男が大事にしていたことは、お金です。

金の斧と銀の斧をもらったら、それを売って大金持ち!

「楽して大金持ちになるぞ!」

このように、苦労なしで大金を手に入れてしまうと、努力することを忘れてしまい、無くなったときに真面目に働けなくなってしまいます。

結果、結局苦労してしまう確率が高まります。

まとめ

どうだったでしょうか?

誰もが知っている『金の斧』という寓話でも、正直と嘘の対象の違いそれぞれの大事にしていることにスポットライトを当てて読み直すと今までとは違う見方ができます。

正直も嘘も紙一重の違いしかないということは、正直者も嘘つき者も紙一重ということです。

もちろん、悪質な嘘はいけません!

しかし、「正直者が善」「嘘つき者が悪」という考え方はせず、その本質を見極めることが大切です。

 

そしてもうひとつの考え方。

「あなたならどう行動するか?」を考えるとまた新しい金の斧の考察ができるのではないでしょうか?

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